昨日、横浜に中村画伯の個展を見に行って参りました。これまでネットでしか見たことがなかったので、本画の迫力に感動しました。

私が特に気に入ったのは、「RMS Carpathia」の絵です。

「この船は、タイタニック号の事故現場に、自らも氷山にぶつかる危険のある中で、いち早く駆けつけて救助にあたったライバル会社キューナード・ラインの中型貨客船で、当時、”英雄の船” と呼ばれました。」「本船が事故現場に到着したのは、ちょうど夜明けの頃で海は凪いでいたと言われているので、その情景を描いてみました。」と中村さんに解説をしていただきました。

そして、更に興味が湧いたので、ウィキペディアで調べてみました。

 

カルパチア(RMS Carpathia)は、キュナード・ライン社の外洋客船。処女航海は1903年1912年4月の「タイタニック」遭難事件で生存者の救助に当たったことで有名である。

就航

「カルパチア」はイギリスニューカッスルスワン・ハンター造船所で建造された。1902年8月6日に進水し、1903年4月22日より公試を開始。4月25日に終了した。船名はカルパチア山脈に由来。

1903年5月5日リバプールからアメリカ合衆国ボストンに向けた処女航海に出発した。その後はニューヨークトリエステ地中海諸港間を結ぶ航海に従事していた。

タイタニック沈没事故

通信士ハロルド・コッタムが「タイタニック」からの遭難信号を受信したとき、「カルパチア」はニューヨークからの航海中であった。コッタムは船長のアーサー・ロストロンを起こし報告した。ロストロンは直ちに針路を「タイタニック」へ向け、全速で急行した。その時点で、最後に受信した遭難信号による「タイタニック」の推定位置とは58マイル離れていた。「カルパチア」の通常航海速度は14ノットだったが、新造時の最大速力に匹敵する17ノットを発揮した。午前4時、「カルパチア」は危険な氷山海域を抜けて遭難地点に到着し、706名[1]を救助した。

この功績に対し、アメリカ大統領ウィリアム・H・タフトはロストロンをホワイトハウスに招待し、アメリカ合衆国議会はロストロンに議会名誉黄金勲章を授与した。

沈没

第一次世界大戦末期の1918年7月17日、輸送任務にあった「カルパチア」はアイルランド東海岸において、ドイツ潜水艦U55」による雷撃を受け沈没した。生存していた乗員乗客計157名は、翌日「スノードロップ」により救助された。1999年アメリカ人作家でありダイバークライブ・カッスラーがカルパチア号の船体を発見した。現在の「カルパチア」の所有者はPremier Exhibitions Inc. で、沈没船からの遺物引き上げを計画しているという。

 

やはり、海には人の心を惹きつける物語がありますね。

 

現在、改造中の本船の絵か、船体解剖図を中村さんに描いていただけたらなァ、と思いました。船主さんにご相談してみます。

中村画伯の作品は、順次、このホームページでご紹介させて頂きたいと思います。