本稿は恩師である芝田光男氏が私に託された「郵船時代のこと」という題名の自叙伝の一部です。どんな時も正義を重んじ、自分を信じて人生を全うされた芝田さんの足跡です。参考にして頂ければ幸いです。
3.植民地支配下の香港・星港
神戸出航後、2等通信士(2nd operator)から、これから通る台湾海峡は、数日前に中国本土からの砲撃が日本船のマストを直撃するという事件があったと聞かされ肝を潰した。太平洋戦争の戦火が止んで13年も経つのに、中華人民共和国と中華民国は、未だ内戦状態で依然アジアは不安定な状況にある事を思い知らされた。
台湾海峡を通過した長門丸の最初の寄港地は、英領香港である。私は初めて見る外国が目前に迫っている興奮に、前夜はなかなか寝付くことが出来ず、その朝も早くからデッキに出て狭い運河脇を支那服の苦力が荷車を引いて行くのを飽かず眺めていた。港の九龍半島と香港島を結ぶフェリーからは、大量の勤労者が絶え間なく吐き出されている。
が、それらは一様に貧しい身なりで疲れたようにうなだれている。それは百数十年も続く植民地ゆえの悲しさなのだろう、と私は思った。
裏街の食堂に入ってみると、店内の床は薄汚く黒光りし、客は食べ残しを平気で食卓下にペッペと吹き散らしている。薄々は知っていたが、同じ漢字文化圏とは言え、庶民文化似て非なる文化の国なのだなぁ、と改めて思った。
次の寄港地の星港では、遊園地「新世界」に行ったが、道々、労働者が屯するマレー人街を通った。労働者達は、色は黒いが鼻筋の通った端正な顔立ちである。東洋にまで遠征したアレキサンダー大王軍の末裔との混血ではと言う説もあると、2nd Officer のOさんは教えてくれた。だが、此処でも労働者達の表情が一様に暗いのは、永い植民地支配のせいかも知れない。
(次回につづく)
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