本稿は恩師である芝田光男氏が私に託された「郵船時代のこと」という題名の自叙伝の一部です。どんな時も正義を重んじ、自分を信じて人生を全うされた芝田さんの足跡です。参考にして頂ければ幸いです。

 

6.オーロラ、そして爆弾低気圧

1958年末に帰国した長門丸は、東Pakistan Chittagong(チッタゴン) へ、アルミ原料のボーキサイトの積み取りに向かい、そして次に Los Angeles へ、メイズ (Raw Corn) の積み取りにと酷使っされることになったが、2度目の Vancouver を経由した Los Angeles への往航では、ベーリング海の南端を東進する太平洋上の海域で、私はオーロラを見る機会を得たのである。横浜出航2日目の夜、船橋 Bridge の操舵手 (Quarter Master) に起こされて部屋を飛び出してみると、北の空いっぱいに薄墨色のカーテンが垂れ下がっていた。映画で見た色彩豊かな南極のオーロラとは違うが、その灰色の垂れ幕は映画「十戒」にあった天の神の怒りの啓示のようにド迫力で迫って来ていた。この現象は15分程度で消えていったが、私の震えは暫く止まることはなかった。

さらに、復航でメイズを積み終えた長門丸は、金華山沖数百キロの洋上で瞬間風速40mの強烈な低気圧に遭遇してしまった。長門丸は転覆回避のため、激しい雨と強風に向かってエンジンをフル回転しているが、船橋 Bridge)の探照灯に映し出された波濤は、長門丸を呑み込むように船橋 Bridge)の遥か上にある。1万トン強の船もまるで木の葉のように山の頂に押し上げられたかと思えば、谷底へと突き落とされる。板っこ一枚下は地獄である。私は言いようのない恐怖に襲われた。

三等航海士(3rd Officer)が、私の部屋に飛び込んで来て、「メイズは何トンあるか?」と質問をしてきた。私が回答に躊躇していると、「しっかりしろ!」とどやされてしまった。後から聞くと、船倉が浸水することになれば、海水を吸って膨張したメイズによって船が破裂する危険があるという。私はこの航海で、自然の偉大さ不思議さ、怖さ、そして航海の危険性を一度に体験させられることになった。

 

(次回につづく)